|
財団設立の趣旨
世界的文化遺産である日光二社一寺、即ち二荒山神社、東照宮並びに輪王寺の殿堂五十数棟は明治維新後、各社寺が専らその荘厳輪奐の美を維持して来た。
明治八年には社寺長職を中心として全国的な規模のもとに保晃会が組織され、大正五年解散するまで、三十八年間よく社寺修繕に協賛した。
然るに世界第二次大戦の前後は殿堂ようやくその光彩を失い、あまつさえ昭和二十四年十二月、今市大震災により、社寺殿堂境内は甚だしい災害を受けた。その際、社寺長職は、修繕と修復をはかり、昭和二十五年五月、日光二社一寺保存委員会を設立、文化財保護法の施行のもとに、国庫補助を受け大修繕を施行することとなった。
委員会は、工事執行のため、日光二社一寺国宝建造物修理事務所を設置し、修理に当たることとした。この間、修理とともに、殿堂防災工事も国庫補助を受けて施工した。
本修理工事は、昭和二十五年以降年次計画により施工され、昭和四十二年度第一期工事を完了し、神橋大修理を始め山内社寺殿堂は面目を一新、俗に昭和の大修理と称えられることとなった。
引続き昭和四十三年以降も更に未修理の分に対し、第二期第一次七ヶ年計画で修理工事を継続実施中である。昭和四十三年より既に修理を完了した殿堂の維持保全を目的として、本会事務所に維持工事部門を設置して、毎年社寺の経費を投入して補修に努めることと成った。
昭和四十四年三月、本会の組織を更に強化し、日光二社一寺文化財保存事務所の制度を整備充実して、よりよい修理施行を期した。
ここに本委員会は、本会を発展的に改組して財団法人を設立し、日光社寺の国宝及び常用文化財指定の建造物の保存修理及び調査研究を行い、あわせて日光社寺の指定建造物等の防災設備を整備し、日光社寺の貴重な文化財の保護管理の萬全をはかり、我国文化の向上に寄与貢献を期するものである。
〔財団法人設立申請書 趣意書より一部抜粋〕 |
|